株式会社アイシーアイ

仕事について

BOSSのつぶやき 2013年10月
~ 仕事について ~

さて、10月に入ってずいぶんと秋らしくなってきたはずだが。(実は、これを書いているのは10月8日で台風の影響で暑い日)温暖化とかヒートアイランドとかあっても季節は進む、ということである。しかし、人間の活動による気候の変化は、少しずつの変化であっても、いずれ、地球的な時間で見れば「短時間」のうちにカタストロフが訪れ、我々が知っているような季節は無くなってしまうのかもしれないけど。
まあ、それがどうした、という感じで今月は「仕事について」ということを書いてみよう。

「仕事」というと大体の人は「家の外」での仕事、まあ、所謂「職業」と考えると思う。今回も、そういうつもりで「仕事」と書いた。
であるが「外の仕事」を考える上で「内の仕事」である「家事」はとても重要な要素であるので、外の仕事について書く前にひと言書いておく。
ある意味、ヒト(*1)という動物にとって「家事」(*2)は根源的な「仕事」である。他のほ乳類の生き物と違って「家事」という仕事が家族というか群れの内側で確立できたからこそ「職業」と呼べる活動が出来るようになり、他の動物にまねの出来ない「生産性」を獲得したのだと私は考えている。まあ、生き物についての専門的な学問をした訳ではないので、これが「定説」という訳ではないが、当たらずと言えども遠からず、な推測だと考えている。なので、決して私は「家事」が仕事じゃない、と言ってる訳ではない。
まあ、家事が先か、食料獲得などの外仕事の生産性向上が先かは、ニワタマ(*3)の関係かもしれないけど、私は順番として、家庭内の役割分担→生産性向上、から始まってその循環が出来た、と考えているのだよ。

さて、その仕事の話だが、私は仕事が「好き」なのである。まあ、無趣味なので、仕事以外に暇つぶしがない、ということもある。だって、以前書いたように「ウンち」なのでスポーツは苦手だし、なぜか「碁」「将棋」「麻雀」「パチンコ」の類いは、長続きしないうえにとてつもなく「弱い」。本は読むが「乱読」であり、趣味、と言えるものではない。強いて言えば、散歩と昼寝、は本当に好きなのだが、、、ということで、仕事が好きなのだ。
理由は、たぶん「工夫」が楽しい、ということだと思う。今の仕事がIT系だから、という訳ではない。今の仕事に就くよりずっと前に仕事は、好きになった。
学生の時に、夏休みに家でぶらぶらしていたらオフクロに怒られたので、お中元の配送、をやったことがある。まだ、大昔(懐かしの’70sなのだ)だったので、大きな荷台のある自転車だよ。最初は、勝手が分からなかったので「足手まとい」だったが3日もすると伝票の束から効率の良い商品と住所を選ぶ、という「工夫」を覚えた。次に、商品の積み方にも「工夫」してみた。そのうち、自転車組では、トップクラスの配送量を運べるようになったのだよ。
この時から、仕事は勉強よりも楽しくなった。工夫と努力が金になるのだ。「運」や「運動神経」がなくてもお金が稼げるということが分かったということである。世の中、才能じゃないな、ということ。

当たり前過ぎてつまらないかもしれないが、仕事は楽しくやらないと面白くない。自分の「工夫」が成果に結びつくくらいの仕事が一番楽しいと思う。システムの仕事に就いてからも、ちょっとしたコーディングやコンピュターオペレーションの工夫がうまく行ったときなどは、「仕事が楽しく」なったものである。
お客さまの話を聞いてうまくシステムで解決できたとかいうことも「楽しい」こととなる。でも、次第に一人の工夫では仕事が完結しない状態が来た。自分で、話を聞いて、工夫したプログラムを動かして、そのアウトプットに感激してもらう、というような仕事はほんの数年しか続かなかったような気がする。
とは言え、そのころの経験が、ある意味、その後も、仕事を続ける原動力になったことは確かである。会社も仕事も規模が大きくなって、単に自分だけの工夫の実現が難しくなって来て、まあ、正直、やる気も失せそうになることもあったのだが、やはり、工夫をすること自体が「楽しい」という感じは続いているのだ。ということは、実は私は、会社にとっては、仕事の中身(これは会社にとっては重要だが)よりは、自分で考えることがやりたい、という実にわがままで困った存在になったということだろう。

とは言え、仕事のやり方を工夫する、ということは、仕事の中身にも興味を持っている訳だから、それはそれで良い事だろう。「カイゼン」という活動もそうだし、考えれば、生産性の向上自体、仕事に興味がなければ出来ないと思う。
なので、言いたい事のひとつは、「仕事」そのものへの興味と工夫が「生産性の向上」につながる、ということである。生産性向上は、お題目を言い続けるだけでは、出来ないものだ。また、生産性向上をするための特別なやりくちなんて無い。繰り返せば、仕事をしている人、一人一人がその仕事を好きで興味があり、工夫することが楽しくなれば良いのである。
そもそも、ヒトはまだ猿に近かったころから、きっと、このように「仕事」に興味を持って「工夫」してきたに違いない。だから、工夫とか生産性の向上を図ることは、ある意味、ヒトの「本能」だと思う。なので、生産性が上がらない、と言って悩むのは間違っている。きっと、仕事に興味を持たせるように人間性を重んじた扱いをしていないからなのだ。
人は、単純に金では動かない。そのお金がどうやって自分のものになるのか、ということに興味が湧くから動くんだ、ということなのだ。

しかし、仕事が好きなのは良いけど、趣味がないのは困ったものだと家族から言われてしまう。たしかに、もう還暦は越えたのに、自分で作ってまで仕事をしているのは、いかがなものかと思う。もっと歳をとったらどうするのか、良く考えてみよう。
人生も「工夫」なのだよね。

(i^c^i)

注記:
*1 ヒト
なんとなくだが「生物としての」人間をカタカナで、「人文的な」人間のことを漢字で書いてみた。ヒト科(Hominidae)のヒト亜科(Homininae)の動物、とWikipediaには書いてある。
*2 家事
調理、掃除、洗濯、育児といった「ヒトの群れ」の維持管理業務のこと。これが「職業」なのか、それともジェンダー(性別)による役割分担なのか、議論の分かれるところ。まあ、それぞれに言い分はあるのだろうが、昔はとっても重要な「仕事」であったことはたしか。今でも重要さは変りないのだが、どうも産業革命以降、従たる仕事に分類されるようである。今後どうなるかは、とても重要な話なので、このような雑文で書く内容ではなく、割愛。
*3 ニワタマ
分かるよね。「鶏と卵」の意。どちらが起源か分からないことを言う。進化で見ると、なんとかザウルスの遺伝子そのものに鳥類になるような変化が起こって鳥の卵が出来たとすれば、卵が先となるし、なんとかザウルスの発生の過程で何らかの変異が起こっていきなり羽が生え、飛翔能力をもった鳥が卵から出て来たとすれば鶏が先ということになる。