株式会社アイシーアイ

ロス・ペロー

   7月9日にロス・ペローが89才で死去した。

   ロス・ペローを知る人も少なくなっただろうが、1970年代から80年代にIT産業に関わった者として、忘れられない事業家である。

   ロス・ペローは1930年にテキサス州の綿花商人の家に生まれ、新聞配達などを続けて苦学の末に、海軍兵学校を卒業後、兵役を経てIBMにセールスマンとして入社した。
   IBMでは1年のノルマを3週間で達成するなど、破格の実績で活躍した。
   その後、IBMで提案したソフトウェア開発などの新分野展開が認められず、62年に情報処理会社EDS(エレクトロニック・データ・システムズ)を妻から借りた千ドル(11万円)で設立した。業界最大手となったEDSを自動車メーカーGM(ゼネラル・モーターズ)に24億ドル(2,600億円)で売却した。併せて、GMの取締役となったが、GMの官僚主義や大企業病を歯に衣きせず内部告発して、当時の会長スミスにより取締役を解任された。

   続いて標的としたのは米国の政治で、92年に無所属で大統領選挙に立候補して、共和党のブッシュ(父)や民主党のクリントン(夫)の両候補を抑えて、人気首位になったが、不手際が続き、大統領選では20%の票を獲得したものの、クリントンに敗れた。
   96年にも新党「改革党」を立ち上げ、共和・民主の2大政党に向かったが敗れた。しかし、貿易黒字国に対する批判や強い米国と製造業の復活などの主張は、トランプの政治に引き継がれた。

19年の米フォーブス誌の予測ではペローの資産は41億ドル(4,400億円)であった。
   アップル社を首になったジョブス元会長に2千万ドルを補助して助けるなど、巨万の富を情にひかれて投資した。
   また、ベトナム戦争の米国人捕虜にチャーター機で食料や薬品を届け、79年にはイラン革命で人質になったEDS社員の救出支援をするなど、愛国者ぶりを発揮した。

   小生は米国勤務のおりに、テキサス州のEDS社会長を訪問し、同社の証券システムの購入の交渉をしたことがある。
   当時すでにペローは会長を退いており、GMから来たアルバサール会長であったが、EDS社のプライベート・ジェットで送り迎えをしてもらった覚えがある。

   EDSは日本にも子会社を持つなど多国に展開していたが、2008年ヒューレット・パッカードがEDSを139億ドル(1兆5,000億円)で買収した。

   ロス・ペローは米国でも、異色で破格の経営者であった。