株式会社アイシーアイ

名人の素顔

前回の続編である。

囲碁の名人藤沢秀行の妻は、藤沢モトさんであるが、著書に『勝負師の妻-囲碁棋士・藤沢秀行との五十年』がある。著者によれば、結婚1年目は秀行は酒も飲まず、かけ事もやらず、長男を風呂に入れたりする子煩悩な父親だったが、突然飲む・打つ・買うの3拍子に目覚めた。

飲むと、ベロベロの泥酔で家に帰り、服はボロボロ、裸足で帰ることも珍しくなく、夜遅く玄関が閉まっていると、ガラス戸をたたき割り、家に入れば手当たり次第に物を投げつけるので手が付けられない状態が毎晩のように続いた。ガラス戸を手でたたき割ったときは、手をガラスで切り、血だらけの手をモトさんが手ぬぐいで縛り、翌日近所の医者に連れて行くと、医者もまたかとあきれ果てられたという。

また、路上で大騒ぎをして、警察に留置されることもしょっちゅうだった。地元杉並警察はおなじみで、家に電話しても、モトさんに『牢屋に入れておいて下さい』と言われ、あきれた。たまに、若い新入り警官が泥酔した秀行を連れて来ると、上司の警官から「お前は教わらなかったか?この男は警察署に連れてきてはならない」と諭されたという。

毎晩ウイスキー2~3本以上を開けたというから、アルコール中毒にならないわけがなく、アル中では囲碁の試合が出来ないので、試合の2か月前から断酒をするが、禁断症状がひどく、体じゅうを虫が這いずり回ったり、幻覚で虫が降ってきたりして、のたうち回るという。モトさん一人では手に負えず、ホテルに缶詰にして、新聞社の人に頼んで、本人をす巻きにして転がしておくなど、あらゆる手を尽くして、試合に向かわせた。

しかし、そのような乱行も本人はほとんど覚えていないという。

開高健はそのエッセイで、『近所に疾風怒涛の男が居て、放吟、叫喚、嘲罵の、近頃珍しいロマン派が良く騒いでいる』と書き、秀行とは知らなかったので、秀行は一度会ってみたいと思っていた。韓国、中国の棋士の指導にも熱心だったため、中国の主席鄧小平に呼ばれたが、酔ってわいせつな言葉を連発し、会談は途中で中止となった。

さて、呑むの次は『打つ』であるが、競輪には毎日のように出かけていた。しかし、勝つこともあったが、穴をねらうため、負けることが多かった。競輪場には高利貸しが居て、金をいくらでも借りられたようだ。1ヶ月で6割の利息がつく違法な借入に手をだし、借金はあっという間に数億円になった。以来、一生借金に負われる生活で、死ぬまで借金は無くならなかった。このため、妻モトさんには1銭も渡さず、生活はモトさんが内職でやりくりをした。モトさんが内職をしていると、秀行は『オレにあてつけをするのか』と怒鳴りちらしたという。

モトさんは、家に借金取りが来ても、税務署のとりたてが来ても、命までは取られないと平然としていた。

結局、自宅は借金のかたにとられて、タイトル戦の賞金は借金と愛人への手当てに消えた。モトさんは池坊流の華道で生計をたてるべく修行し、教授としての最高位まで取り弟子も増えたが、秀行のアル中を押さえ試合に出させるため、華道の指導をあきらめざるを得なかった。

さて、『買う』であるが、愛人は4人ほどいて、子供は15人と言われた。さすがのモトさんも、最初の愛人が妊娠したと分かると、家を出て新潟の実家に帰った。しかし、実家の母親は『親の反対を押し切って結婚したのだから、この家に入れる訳に行かない』と追い返されてしまう。それで、腹をくくったのか、愛人の子供達はわが子のようにかわいがり、愛人と秀行と3人で温泉旅行をすることもあった。

あるとき秀行が、離婚をほのめかすと、『どうぞ、どうぞ』と答えたが、秀行が愛人宅へ行くと、こんな手のかかる男はごめんだと、愛人に結婚を断られて、またモトさんの元へ舞い戻った。

川崎に長男が家を建ててくれた時は、秀行は1度行っただけで、3年間愛人宅に居続けた。秀行は3年後に自宅近くの駅に降りたが、自宅への行き方が分からずに、モトさんに電話で迎えに来てもらった。仲の良かった将棋の米長邦雄の妻が「うちの主人は週に5日家に帰ってこないのですが」とモトさんに相談すると、「うちは3年帰ってきません」と答えた。

3度の癌の手術を乗り越えて、藤沢秀行は「おれはお釈迦様の手のひらで泳がされた孫悟空だ」とモトさんをたとえるが、直接には「オレと結婚してよかったなー。おまえみたいな女は平凡なヤツと一緒になっていたら、きっと1日ももたずに飽きていたはずだ」と憎まれ口をたたく。

さて、数々のタイトルをものにした名人藤沢秀行であるが、裏の素顔はろくでもないはちゃめちゃな男であり、 人間、裏と表が大違いという典型であった。